スタジオジブリが2006年に公開した映画『ゲド戦記』。壮大な世界観と美しい映像に惹かれる一方で、「ストーリーが難しい」「意味がわからない」と感じた方も少なくないのではないでしょうか。
この記事では、そんな『ゲド戦記』のあらすじをわかりやすく解説します。本作はどんな話なのか、物語の見どころ、そして作品が本当に伝えたかったことは何かを掘り下げていきます。
また、豪華な声優陣や対象年齢層といった基本情報に加え、なぜ原作者が激怒したのか、原作である小説「ゲド戦記」はどんな内容なのか、という背景にも光を当てます。この記事を読めば、難解とされる『ゲド戦記』のあらすじをわかりやすく理解し、その深い魅力を再発見できるはずです。
この記事を読むことで、以下の内容が明確になります。
- 映画の始まりから結末までのストーリーの流れ
- テルーやハイタカといった主要人物の正体と役割
- 「意味がわからない」と言われる理由と、作品が伝えるテーマ
- 原作者や宮崎駿監督からの厳しい評価の背景
ゲド戦記のあらすじをわかりやすく!登場人物の正体とは
この章のポイント
- ゲド戦記はどんな話?簡単なあらすじ
- テルー、ハイタカ、クモの正体を解説
- 主要キャラクターと豪華な声優陣
- 映画の見どころを3つのポイントで紹介
- 対象年齢層は?子供には難しい?
ゲド戦記はどんな話?簡単なあらすじ
『ゲド戦記』は、魔法が存在する多島海世界「アースシー」を舞台にした壮大なファンタジー物語です。
物語は、世界の均衡が崩れ始めたところから始まります。竜が共食いを始め、農作物は枯れ、人々は希望を失っていました。そんな中、エンラッド王国の王子アレンは、自身の内なる闇に苦しみ、衝動的に父である国王を刺殺してしまいます。
国を捨ててあてどない旅に出たアレンは、砂漠で狼に襲われかけたところを、大賢人ハイタカに救われます。ハイタカは、世界の異変の原因を探る旅をしており、アレンを伴って旅を続けることにしました。
二人は、かつて美しかったものの今や荒廃した街ホート・タウンを訪れます。そこでアレンは、人狩りに追われる少女テルーと出会います。この出会いをきっかけに、アレンは世界の均衡を崩す邪悪な魔法使いクモとの戦いに巻き込まれていきます。これは、アレンが自身の心の闇と向き合い、命の本当の意味を見つけていく成長の物語なのです。
テルー、ハイタカ、クモの正体を解説
『ゲド戦記』の物語を理解する上で、鍵となるのが主要な登場人物たちの「正体」です。彼らの背景を知ることで、物語の深みが一層増します。
ハイタカの正体
アレンを導く大賢人ハイタカ。彼の真の名は「ゲド」であり、原作小説『ゲド戦記』では彼こそが本当の主人公です。アースシーで最も偉大な魔法使いと称される存在であり、世界の均衡を保つために力を尽くしています。若い頃には自身の力を過信して大きな過ちを犯した過去があり、その経験から命や魔法に対して深い洞察を持っています。
クモの正体
本作の敵役である魔法使いクモ。彼は永遠の命を求めるあまり、禁断の魔法に手を染め、生死の世界の扉を開こうとします。これにより世界の均衡を崩した元凶です。見た目は女性のようですが、実際は男性の魔法使いで、かつてハイタカに敗れた過去を持ち、彼に強い恨みを抱いています。死を異常に恐れる彼の姿は、物語のテーマである「生と死」と対極の存在として描かれています。
テルーの正体
アレンの心を救うヒロイン、テルー。彼女の正体は、物語のクライマックスで明らかになる「竜」です。『ゲド戦記』の世界では、かつて人間と竜は一つの種族でした。テルーは、人間となった竜の血を色濃く受け継ぐ末裔であり、アレンの危機に際してその本来の姿を現します。彼女の存在は、失われつつある自然や生命の力強さを象徴しています。
主要キャラクターと豪華な声優陣
『ゲド戦記』は、その独特の世界観を支える豪華な声優陣も話題となりました。ここでは主要なキャラクターと担当声優を紹介します。
役名 | 担当声優 | 役柄紹介 |
アレン | 岡田准一 | 主人公。心の闇に苦しむエンラッド王国の王子。 |
テルー | 手嶌葵 | 顔に火傷の痕がある謎の少女。美しい歌声を持つ。 |
ハイタカ | 菅原文太 | アレンを導く大賢人。「ゲド」という真の名を持つ。 |
クモ | 田中裕子 | 永遠の命を求める邪悪な魔法使い。本作の敵役。 |
テナー | 風吹ジュン | ハイタカの旧友で、テルーの育て親。 |
ウサギ | 香川照之 | クモの手下で、人狩りの頭。 |
主人公アレン役を当時V6のメンバーだった岡田准一さんが、ヒロインのテルー役と主題歌を新人歌手だった手嶌葵さんが担当したことで大きな注目を集めました。また、ハイタカ役の菅原文太さんやクモ役の田中裕子さんといった大御所俳優が、物語に重厚感を与えています。特に、ウサギ役の香川照之さんの演技は、多くの観客から高い評価を受けました。
映画の見どころを3つのポイントで紹介
『ゲド戦記』は難解とされる一方で、心に残る多くの見どころがあります。ここでは特に注目したい3つのポイントを挙げます。
美しくもどこか寂しい世界観の描写
スタジオジブリならではの圧倒的な作画力で描かれるアースシーの世界は、本作の大きな魅力です。雄大な自然や、活気と退廃が同居するホート・タウンの街並みなど、その美術背景は息をのむほどの美しさです。しかし、ただ美しいだけでなく、世界の均衡が崩れつつあることによる、どこか物悲しく不安な空気が全体を覆っています。この光と影が織りなす独特の世界観に浸るだけでも、本作を観る価値はあるでしょう。
「テルーの唄」が響く感動的なシーン
手嶌葵さんが歌う挿入歌「テルーの唄」は、本作を象徴する名曲です。夕暮れの草原で、テルーがひとり静かにこの歌を口ずさむシーンは、映画全体の中でも特に印象的で感動的な場面として多くの人の心に残っています。彼女の孤独や悲しみ、そして生命の尊さを感じさせる透明感のある歌声が、美しい映像と相まって、観る者の感情を強く揺さぶります。
生と死を問う普遍的なテーマ
この物語は、単なるファンタジー冒険活劇ではありません。「命を大切にしない奴なんて大嫌いだ!」というテルーのセリフに代表されるように、「生きることの意味」や「死とどう向き合うか」といった、非常に深く普遍的なテーマを扱っています。主人公アレンが自身の影、すなわち死の恐怖や罪の意識と向き合い、それを受け入れて成長していく姿は、現代に生きる私たちにも多くの示唆を与えてくれます。
対象年齢層は?子供には難しい?
『ゲド戦記』はスタジオジブリ作品であるため、子供向けの映画だと思われがちですが、実際には主な対象年齢層はもう少し高め、中学生以上の大人向けと考えられます。
その理由は、物語のテーマが非常に哲学的で重い点にあります。主人公アレンが実の父親を殺してしまうというショッキングな冒頭から始まり、彼の内面の葛藤や心の闇、そして「生と死の均衡」といったテーマは、小学生以下の子供が直感的に理解するのは難しいかもしれません。
また、全体的に物語のトーンが暗く、派手なアクションシーンも少ないため、活劇を期待する子供にとっては、退屈に感じてしまう可能性があります。
もちろん、美しい映像や竜の登場など、子供が楽しめる要素も含まれています。しかし、この作品が本当に伝えたいメッセージや、登場人物たちの心の機微を深く味わうためには、ある程度の人生経験や思考力が求められるでしょう。親子で鑑賞し、観終わった後に「命の大切さ」について話し合う、といった形であれば、子供にとっても有意義な体験になるかもしれません。


ゲド戦記のあらすじをわかりやすく解説!評価と原作比較
この章のポイント
- 意味がわからないと言われる3つの理由
- ひどいという評価は本当?徹底検証
- 原作者が激怒した理由を解説
- 小説ゲド戦記はどんな内容?映画との違い
- 本作が本当に伝えたかったこととは
意味がわからないと言われる3つの理由
『ゲド戦記』は公開当時から「物語の意味がわからない」「難解だ」という声が多く聞かれました。なぜ、多くの人がそのように感じてしまったのでしょうか。主な理由として3つの点が考えられます。
説明不足な展開
まず、物語全体を通して説明が不足している点が挙げられます。なぜ世界の均衡が崩れているのか、アレンが父親を殺した具体的な動機は何か、アレンを追う「影」の正体は何か、そしてなぜテルーが竜に変身できたのか。これらの重要な要素について、劇中では明確な説明がほとんどなされません。視聴者は断片的なセリフや映像から、それらの意味を能動的に読み解く必要があり、これが「わからない」という感想に直結しています。
主人公の行動原理の不明瞭さ
主人公アレンの行動や心情の変化が、観客に伝わりにくい点も大きな理由です。彼は物語の大部分で自分の殻に閉じこもり、受動的な態度を取り続けます。突然凶暴になったかと思えば、深く落ち込むなど、情緒が不安定で、観客が感情移入するのが難しいキャラクターになっています。彼が何に苦しみ、何を考えているのかが分かりにくいため、物語の核についていけなくなるのです。
原作の複雑な要素の圧縮
映画は、原作小説の長大な物語の一部を抜き出し、さらにオリジナルの要素を加えて再構成しています。原作では何巻にもわたって描かれる世界のルールやキャラクターの背景が、映画では大幅に省略されています。そのため、原作を知らない観客にとっては、登場人物たちの言動の背景にある文脈が理解できず、「なぜそうなったのか」がわからないまま物語が進んでしまうのです。
ひどいという評価は本当?徹底検証
『ゲド戦記』には「ひどい」「駄作」といった非常に厳しい評価がついて回ることがあります。このような評価が下される背景には、いくつかの要因が複合的に絡んでいます。
一つは、前述の「意味がわからない」という感想に繋がる脚本の問題です。物語の展開に唐突な部分が多く、特にクライマックスでテルーが何の前触れもなく竜に変身するシーンは、多くの観客を困惑させました。伏線の不足や説明不足が、物語への没入を妨げ、「ご都合主義でひどい」という評価に繋がった面は否定できません。
また、声優のキャスティングに対する批判もありました。特にヒロインのテルーを演じた手嶌葵さんは、当時は演技経験のない新人歌手であり、その演技が「棒読みに聞こえる」として、作品の雰囲気を損なっているという意見が少なからず見られました。
そして最も大きな要因は、これが「スタジオジブリ作品」であり、「宮崎駿の息子」の初監督作品であったという点です。観客は『ナウシカ』や『もののけ姫』のような傑作を期待して劇場に足を運びました。その高すぎる期待値と、実際の作品とのギャップが、より厳しい評価を生み出す結果となったのです。作品単体で見れば評価できる点もあるものの、「ジブリ作品としてはひどい」と感じた人が多かったのが実情でしょう。
原作者が激怒した理由を解説
映画『ゲド戦記』を語る上で避けて通れないのが、原作者アーシュラ・K・ル=グウィン氏が映画の内容に不満を表明し、激怒したとされるエピソードです。
ル=グウィン氏は、長年宮崎駿監督のファンであり、『ゲド戦記』の映像化を許諾した際も、宮崎駿本人が監督することを強く望んでいました。しかし、当時『ハウルの動く城』の制作で多忙だった宮崎駿監督に代わり、息子の宮崎吾朗氏が監督に就任。この時点で、原作者の期待とは大きな隔たりが生まれていました。
完成した映画を観たル=グウィン氏は、自身のウェブサイトで感想を公表。その中で、映画の絵の美しさを評価しつつも、物語の内容については厳しい批判を展開しました。特に問題視したのは以下の点です。
- テーマ性の違い: 原作が持つ「生と死の均衡」という繊細なテーマが、映画では単純な善悪の戦いや説教臭いメッセージに置き換えられている。
- キャラクターの改変: 主人公アレンが「親殺し」をするという映画独自のショッキングな設定や、登場人物の動機付けの薄さに強い不満を示した。
- 物語の論理破綻: ストーリーの辻褄が合わず、物語が破綻していると感じた。
要するに、彼女は「これは私の本ではない。あなたの映画だ」と述べ、自身の作品とは全くの別物であると結論付けたのです。原作への深い愛情と理解を持つ作者だからこそ、その大胆な改変に納得できなかった、というのが「激怒」の真相です。
小説ゲド戦記はどんな内容?映画との違い
映画版と原作小説では、物語の焦点や設定に大きな違いがあります。原作は全6巻からなる長編ファンタジーで、主人公は一貫して大賢人ハイタカ(ゲド)です。
映画が主にベースにしたのは、原作の第3巻『さいはての島へ』です。この巻では、世界の均衡が崩れ始めた原因を探るため、壮年期のハイタカと、彼を訪ねてきたエンラッドの王子アレンが共に旅に出ます。しかし、原作のアレンは父を殺しておらず、国王の命を受けてハイタカのもとへやってきます。アレンが抱える「影」との対峙は描かれますが、その導入が全く異なります。
また、ヒロインのテルーは、原作では第4巻『帰還』で初めて登場します。顔に酷い火傷を負った幼い少女として描かれており、映画のようにアレンと恋愛関係に発展するようなキャラクターではありません。彼女が竜の血を引いているという設定は原作にもありますが、映画のようにクライマックスで竜に変身して敵を倒す、という展開はありません。
このように、映画は原作の様々な巻から要素を抽出し、宮崎駿監督の絵物語『シュナの旅』を原案として、アレンを主人公に再構築した、いわば「ハイブリッド作品」です。そのため、原作の壮大な物語や深いテーマ性を期待して映画を観ると、大きなギャップを感じることになるのです。
本作が本当に伝えたかったこととは
『ゲド戦記』は難解で賛否両論ある作品ですが、宮崎吾朗監督がこの映画を通して伝えたかったメッセージは、非常に現代的で普遍的なものだと考えられます。
その核心は、「生きることの本当の価値」と「死を受け入れることの重要性」です。作中、ハイタカは「死を拒絶することは、生を拒絶することだ」と語ります。永遠の命を求めて世界の均衡を崩すクモは、死を恐れるあまり「生」そのものを見失った存在として描かれます。これに対し、アレンやテルーは、苦しみや悲しみ、そしていつか訪れる死といった、生きることに伴う全てを受け入れることで、本当の強さを見出していきます。
主人公アレンが抱える「影」は、彼自身の死への恐怖や、犯した罪悪感の象徴です。彼は当初、影から逃げようとしますが、最終的に影は自分自身の「光」の一部であると認め、受け入れます。これは、人間誰しもが持つ弱さやコンプレックスから目を背けるのではなく、それも自分の一部として向き合うことの大切さを訴えかけています。
「命を大切にしない奴なんて大嫌いだ」というテルーの言葉は、この映画のテーマを最も端的に表しています。生きていることの輝きは、死という終わりがあるからこそ生まれる。この当たり前でありながら忘れがちな真実を、ファンタジーという形式を通して、現代を生きる私たちに力強く問いかけている作品なのです。


ゲド戦記あらすじわかりやすく総まとめ
この記事で解説してきた映画『ゲド戦記』の重要なポイントを、最後に箇条書きで振り返ります。
- 『ゲド戦記』は宮崎吾朗の初監督作品である
- 物語の舞台は魔法と竜が存在する世界「アースシー」
- 主人公アレンは心の闇から父王を殺し国を逃亡する
- 大賢人ハイタカと出会い、世界の異変の原因を探る旅に出る
- 「意味がわからない」と言われる理由は説明不足や難解なテーマ性にある
- 「ひどい」という評価はジブリ作品への高い期待とのギャップも一因
- 主な登場人物の声優は岡田准一、手嶌葵、菅原文太などが務めた
- ヒロインのテルーの正体は人間と竜の血を引く存在
- 敵役クモの目的は死を克服し永遠の命を得ること
- ハイタカの真の名はゲドであり、原作小説の主人公
- 原作小説とは主人公や物語の展開が大きく異なる
- 原作者は映画の改変に不満を表明したことで知られる
- 映画が伝えたかったことは「生と死の均衡」と「自己との対話」
- 普遍的なテーマを扱っており、現代において再評価の動きもある
- 対象年齢層は哲学的テーマを理解できる中学生以上が推奨される